美しき「豊岡杞柳細工」を現代にアップデートし、未来につなぐ。Kiryu-zaiku Basket | renacnatta STORY
さまざまな伝統工芸とのコラボレーションを手がけてきたrenacnatta(レナクナッタ)。この冬、新たなコレクションとして、兵庫県で受け継がれてきた豊岡杞柳細工(とよおかきりゅうざいく)に光を当てる「Kiryu-zaiku Collection」が加わります。
1作目のアイテムは、豊岡杞柳細工でつくられたかご型のバッグ「Kiryu-zaiku Basket」。2023年1月30日に予約販売を開始し、4月頃からお届け予定です。
「杞柳」とは、コリヤナギのこと。豊岡杞柳細工のバッグは、丁寧に編み込まれたコリヤナギが生み出す上品なツヤとしなやかさが特徴です。皇室でも長年にわたって愛用されています。
カラー展開は左からNero, Bianco, Cognacの3色。
そんな杞柳細工で編み上げたボディ上部に、レザーの覆いと取っ手を組み合わせることで、唯一無二の存在感を放つバッグが完成しました。
かごバッグといえばカジュアルな場面での使用を想像しますが、豊岡杞柳細工のエレガントな佇まいに上質なレザーが加わることで、フォーマルな場にも馴染みます。
豊岡杞柳細工は1200年もの歴史があり、一時期は全国で知られていたものの、作り手の減少によって今まさに途絶えかねない危機にさらされています。
今回のKiryu-zaiku Collectionは、伝統を次の世代につなごうとしている一人の作り手との出会いがきっかけで実現しました。豊岡杞柳細工の職人・山本香織さんです。
自らの技術を高めながら、職人が健全に豊岡杞柳細工を続けられる環境づくりを模索している山本さん。レナクナッタとのコラボレーションは、未来に向けた挑戦でもあるのです。
山本さんがなぜ豊岡杞柳細工に惹かれ、バッグによってどのような未来を切り拓こうとしているのかを伺いました。
初めて見た豊岡杞柳細工で、一生の仕事を決めた
Kiryu-zaiku Basketの故郷は、兵庫県の北部に位置する豊岡市。山本香織さんはこの豊岡市で生まれ育ち、大人になって初めて杞柳細工のことを知りました。
「友人がバッグを私に見せて、『これ、豊岡の人が全て手作りしているんだよ』と教えてくれました。私は正直、豊岡杞柳細工のことを全く知らなくて。でも見た瞬間に『これだ!これを仕事にしたい!』と強く思ったんです」
豊岡杞柳細工を知るまで、「手に職をつけたい」との思いでさまざまなジャンルの仕事に挑戦してきたものの、一生の仕事を決めきれなかった山本さん。「後から考えると、ひらめきとしか言いようがない」と後継者育成教室への参加を決めます。その背中を押したのは、バッグの美しさでした。
「とにかく編みの美しさに感動しました。機械ではつくれなさそうな、でも『これを人の手でつくれるの?』と驚くほどの細やかさで、しかもすごく軽くて丈夫なんです。こんなに美しいものが地元でつくられているのか、と衝撃を受けました」
山本さんが一目惚れした豊岡杞柳細工は、東大寺の正倉院に「但馬杞柳箱」が納められているため、少なくとも約1200年前には豊岡市をはじめとする但馬地域で生産が始まっていたとされています。
材料は、市内の肥沃な湿地帯に自生していたコリヤナギです。収穫してから多くの手間をかけることで、丈夫でありながらしなやかな特徴が引き出されます。
コリヤナギと山本さん。長いものは3mほどに成長する。
豊岡杞柳細工の生産が定着するようになったのは、江戸時代のこと。代々の藩主が豊岡杞柳細工を使った行李(入れ物)の生産に力を入れたことで、豊岡は行李の一大産地として知られるようになります。防虫・防湿効果が高いため、服の保管にも使われました。
「行李」(右手前)が、時代に合わせて、明治に「行李鞄」(右上)となり、さらに「大正バスケット」(左上)と形を変えてきた。
明治時代には海外への輸出がスタート。「行李鞄」や「大正バスケット」など、ニーズに合わせて形を変えながら、時代を超えて愛されてきました。しかし戦後は生産量の激減と同時に作り手も減っていき、今では技術をつなぐことすら危ぶまれています。
全国各地で使われた日常の道具が、消えかけている現実
思いきってものづくりの世界に飛び込んだ山本さん。豊岡杞柳細工について学びを深めるうちに、職人たちの踏ん張りによって伝統がなんとかつながれてきた近年の歴史と、それでも技術が途絶えようとしている現実にぶつかります。
かつて豊岡発の杞柳細工は、弁当箱や収納箱として家庭でも使われる日常の一部でした。全国に流通した背景にあるのは、大量生産を可能にした分業制です。柳を育てる人、収穫した柳を材料に加工する人、柳を編む人、組み立てる人……と細かく分業されていたといいます。
しかし戦後はプラスチックやビニールを使った商品が誕生し、廃業する作り手が増加。次第に材料が入手できなくなり、山本さんの先生にあたる世代から、手間のかかるコリヤナギの栽培を職人自ら手がけるようになりました。
「杞柳細工の技術と伝統を残そうとする意志を感じますよね。このときの踏ん張りがなければ、豊岡杞柳細工は、材料を輸入できる籐(とう)細工に替わっていたんじゃないかな」
素材となるコリヤナギ。表皮を剥き、多くの加工を経てようやく編み始められる。
かつて分業にしていた行李を編み上げる工程も、今は一人で担わざるを得なくなりました。熟練の職人でも大きなサイズの行李を編むのに1週間以上かかるそうです。さらに、この技術を習得するには10年の時間を要します。
このように、大量生産だった時代と比べて鞄1つにかけられる時間と労力が膨大になった一方で、日用品だった杞柳細工を高級品へと路線変更しきれなかったことが尾を引いて、利益と手間が釣り合わない現状が生じています。
利益度外視のものづくりを続けられなければ担い手になれない、豊岡杞柳細工の今。この現状に、山本さんは「このままではあと100年も持たないのではないか」と危機感を抱くようになりました。
「柳行李が必需品だった時代、杞柳細工は日本中でつくられていたそうです。でも結局、豊岡から全国に広まった産業が結局、豊岡だけで続いている背景には、豊岡が時代の変化に合わせて商品開発に力を入れて、形を変える挑戦をしてきたからじゃないかなと。
そしてここから豊岡杞柳細工を続けていくためには、今また何かを変えるべき時期が来ているんだと思います」
山本さんは「もしかしたら、もう手遅れなのかもしれない」と肌で感じながらも、これまで形を変えながら技術を育んできた豊岡杞柳細工の歴史を鑑みて、価値の伝え方と適正な価格設定の2つの軸で現状を変えていこうとしています。
杞柳細工で使われるコリヤナギだから実現される、しなやかさと丈夫さの両立。流行り廃りにとらわれず、時代を超えて愛される美しさ。使い込んだ道具を親から子へと長く使い続ける意味。このような価値を現代の消費者に届けられれば、相応の値段が付けられます。
山本さんはこれらの変化を通じて、豊岡杞柳細工が仕事として成立し、職人が自立できる未来を思い描いているのです。
豊岡杞柳細工の本質的な美しさを未来に伝えるデザイン
このような課題と向き合いながら奮闘していた山本さんが、一つの挑戦として選んだのがレナクナッタとのアイテムづくりでした。
山本さんが語る「今まさに失われようとしている豊岡杞柳細工を、どうにか未来に残したい」との思いにレナクナッタが共鳴し、コラボレーションが実現。豊岡杞柳細工が未来に受け継がれる過程に参加できるバッグを目指しました。
Kiryu-zaiku Basketで大切にしたのは、豊岡杞柳細工の美しさを伝えられるアイテムづくり、職人にとって仕事として成立する適正な価格設定、そしてその価格にふさわしいデザインです。
材料には、豊岡のコリヤナギを使用。職人の技によってコリヤナギから引き出された美しいツヤを感じやすいように、コリヤナギの皮で薄く染色しました。上品な存在感で、フォーマルな場にも馴染みます。
バッグの表情を決める横方向の編み込みにコリヤナギを使い、縦方向には強度がある籐を活用しています。豊岡杞柳細工でしか実現できない軽さと丈夫さを両立することで、長く使い続けることが可能です。
さらに今回は、レザーも活用。レナクナッタの姉妹ブランド「cravatta by renacnatta」で名刺入れなどのアイテムを一緒につくってきた豊岡市の革製品メーカー、ラ・ヴェッタの技術により、レザーを豊岡杞柳細工に掛け合わせています。
こうして、レナクナッタだからこそお届けできるバッグとして完成したKiryu-zaiku Basket。コラボレーションを経て、山本さんはこんな気づきを聞かせてくれました。
「普段はバッグを全て一人で制作しているので、個人の発想の域を出なくてワンパターンになりがちでした。でも今回、他の方と関わりながら制作するとこういうこともできるんだ、と驚いたんです。他の人のデザインや技術力を組み合わせることで自分のひらめきも変化して、誰かと一緒につくることのおもしろさを実感しました」
今回のアイテムづくりを通じて、「もっとさまざまなデザインで、豊岡杞柳細工のプロダクトづくりを進化させていけるんじゃないか」と話してくれた山本さん。
その方法のひとつとして、かつては種類が豊富だった杞柳細工の編み方を学ぼうとしているのだそう。バッグの編み方以外を教えてもらう機会が限られており、技術が消えていくことを危惧している山本さん。花籠やランプシェードなど、バッグとは違う編み方でのプロダクトづくりにもチャレンジしたいと考えています。
長く続いてきた業界の体質や課題と向き合うことの難しさも垣間見えた、山本さんへのインタビュー。それでも山本さんは豊岡杞柳細工を通じて描きたい未来について、力強く話してくれました。前向きに挑戦を続ける原動力は、どこにあるのでしょうか。
「やっぱり、初めて豊岡杞柳細工のバッグを見たときに衝撃を受けて、『これをつくりたい。これを一生の仕事にする』と決めたことが自分の支えになっています。周りの方々から『大変でしょう』と声をかけていただけるのですが、私は覚悟の上で飛び込んでいるので、続けていられるのかなと」
1200年にわたって育まれてきた技術と、山本さんが人生を決めるほどに心が震えた美しさを、現代の私たちが纏い、未来につないでいく。Kiryu-zaiku Basketがそのひとつの架け橋になれることを、心から願っています。
<YouTubeでは杞柳細工が作られる過程が見れる動画も公開中。ぜひご覧ください。>
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■ 山本香織さん
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